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見抜く力―夢を叶えるコーチング (幻冬舎新書)

『人を育てる歓び?コーチング・伯楽?』
 人間が持つ能力をどうすれば最大限に引き出すことができるか。教育の場では古来からの論議が続いている。その形には2種類の形がある。1つは“鬼監督”に象徴される『熱血型』。そしてもう1つは相手の可能性を見極めた上で1人1人個別の“処方箋”に基づく『育成型』である。前者が自らの経験を根拠として“選手のダメな点を指摘して徹底的にこき下ろす”のに対し、後者は自らの経験を退け“選手の良い点を引き延ばすことによってトータルに選手を育てる”と全く正反対の形をとる。
 日本ではどちらかと言えば、前者がこれまで“幅を利かせてきた”感が強い。けれども実際にはそれで潰れていった選手がどれほどいることだろうか。その中には相手の器量が自らを上回ることを知って“いじめ”と変わりない“指導をする”ケースすらないともいえない。そして前者の付きものは“教育者の手柄話”である。実際に競技の場に立つのは他ならない“選手”なのである。従って、記録が向上したり、良い結果を残したのは“選手”であり“指導者”ではないことを彼らは誤解してしまっている可能性も多い。先ず最初に断っておきたいのは本書が決して“自慢話”に貫かれたモノではないことである。
 著者はオリンピック2大会連続のゴールド・メダリストを育てた名コーチであることは言うまでもない。けれども著者は最初からコーチだったのではなくジュニア時代には将来を嘱望されたスイマーだった。それが“なぜ、コーチになったのか”その中で“コーチには何が必要で、何が必要ないか”を中心に話を進めている。
 印象的な言葉の1つに“「頑張れ」という言葉の怖さ”がある。常々感じてはいたがこの言葉は発した側にはその意識はなくても、受ける側にしてみれば“無神経な言葉”でもある。例えば、阪神淡路大震災の当時、この言葉を使うことに個人的には抵抗があった。何故なら絶望に近く、目一杯の状況の中で必死に堪えて復興への道を歩き続けているのに、横から“ガンバレ!”と言われたらどうだろうか。坂道を両手に重い荷を持ってトボトボと上がっていく年寄りに“ガンバレ!”というだけで自らは涼しい顔をしたまま車に乗って通り越していくようなものではないのか。著者はこの“ガンバレ”という短い言葉の使い方1つにしても“相手によって使っても良いケースと良くないケース”の存在を指摘する。それは選手1人1人に対する人間観察に由来する。
 スポーツコーチの実録的な内容の体裁を採ってはいるが、本書は教育学・発達心理学・言語社会学などの要素を十分に採り入れ、また背景には唐の詩人韓愈の『雑説』に登場する“千里之馬”と“伯楽”の故事が暗喩のように鏤められている。その手法は曾て“早稲田ラグビー”を再生したカリスマ監督、清宮克之氏や現監督の中竹竜二氏と重なる部分も多い。
 昨今、書店の店頭には“私だからこう出来た!”との“カイカク”に悪乗りした自慢話的な「企業再生サクセスストーリー本」が目に付く。その多くは御神輿に乗って上から“それ行け、それ行け!”と煽るだけで、担ぎ手や準備のために走り回ったスタッフ(現場)の苦労など知らない裸の王様に等しい。その姿は恰も“ガンバレ!”と叫ぶだけの人間と変わりはない。
 その意味で本当に一読を薦めたいのは企業の経営者や管理職の方々、そして学校の先生である。何故なら、会社も学校も全て“人”に依って支えられ、“人”が相手の現場だからである。もちろん、本書の内容をそのまま自身の組織に当て嵌めようとすることは無意味である(その理由は本書の中に書かれているので読んでから答えを自分で導き出す必要がある)。

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